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慕夜締め2003 2003/12/29
 こんばは。僕はしたたかに酔っ払っているのでこの文に誤字脱字が出てしまうかもしれませんが、これは酔っ払ってるが故の意図的誤字脱字ですので御理解頂きたく思います。って書く前に謝っておきます。
 改めまして、今年一年デビューから何までご支援頂いた事、深く感謝致します。という言葉ひとつに尽きてしまいます。
 今日は酔っ払っているのですが、久々の独りベロベロです。以前、2年程前に僕は散歩しながらウイスキーのボトル(200ml程度)ポケットサイズのものをポケットに突っ込み、グタグタに酔っ払って街を歩く事が流行した時期がありました。昨日から三日間のポッカリ空いた休み、31日のNACK5の生放送まで急激にポッカリ独りで、友達はみんな故郷やら何やら、東京にいませんので、封印していた独りベロベロ徘徊を今日はしてみました。そんな調子でこの一年を振り返って見たかったんです。思えば長い一年だったと思います。
 今日の散歩はウォークマンで『夜の地図』って自分のアルバムを聴きながら始まりました。最初に人影を聴きながら、ウイスキーを買ったんだけど、その棚にフジカワさんと交換した思い出の焼酎が売ってた。フジカワさんは職を見つけているんだろうか?もうあれから5年にもなる。店を出たところで一口グイッと呑めば「カーッ」っと、激辛ラーメンを食べた人みたいな顔になった。そして早くも千鳥足で歩き出す事になった。んです。
 アルバムの製作中、よくジョギングしに来た黒い川に辿りつき、ボケーっとしました。橋の欄干に毎日のようにうな垂れていたおっちゃんを思い出したりして。今はもういないみたい。この一年、本当に色んな人に出会ったな。ヨシオはイギリスから帰ってきたし、サカグッチャンは鹿児島で痛風の疑いがあるらしい。オックゥは東北で元気を取り戻し、ヨコヤマ君は二足歩行を忘れて松葉杖をついて北海道に帰郷中。マツオさんは大阪でフレンチブルドックとお戯れ中だろうし、ハンサムカチョウはまだ仕事にねっぱしてるのかなぁ。エンジニアのポリスさんは今日も半袖短パンの筈だし、スドウさんも年末の仕事に追われてるんだろうなぁ。俺は酔っ払っている。俺みたいなもんがなぁ。
 今年の中で「俺みたいな奴、死んぢまえ!」って枕に頭を打ち付けた日々があり、また「どうか僕の呼吸を止めないで息させて下さい」と懇願した日々もあった。どうにも裏表で生きてきたんだな。そしてどれも真剣に考えて来て今、息ている。この暗い黒い川の先が見当たらないんだけど、僕はずっと終わりを意識してたんだなって思った。喜んでも、終わりがあるなって思いながら喜んだし。悲しんでも、いつか終わりが来ると願って、悲しんだ。幸せも不幸も終わりを意識して飛び込んでいた気がする。でも、いっつも確たる終わりを得られないまま、何も確信できないまま、この黒い川に流されて来たんだなって思う。
 僕の唄なんかに、涙ながしちゃいけないんだよ。僕の言葉に涙流しちゃもったいないよ。君がいつも見てるガラスのように透き通ったものは何一つ、僕にはないんだから。「俺みいたいな奴、死んぢまえ!」って自分を嫌ってみても、結局枕に頭を打ち付けて「あぁ、やわらかいなぁ」なんて救われてしまう「枕じゃ死ねないなぁ」だって。でも、その裏で充分なわがままをしてきた、そんな身も蓋もない人間が唄い、慕夜いてきたんだから、それだけの奴なんだぜ、オイラ。知ってるか。知ってるんだったら、もったいないぜ。何てね、考えてると真っ直ぐ歩けなくなってるのさ。黒い川をさかのぼってみようと歩き出し、酔っ払ってるのも相まって道に迷ってしまう。うん、この道は、この街に来た当初にも迷ったことがある。
 ウロウロ歩いていると二丁目の部屋に行き着いた。今はカーテンも取り払われ、空き室、誰も住んでない、あの子は住んでない。今日って日はこんなに天気がいいのに、何て寂しい一日なんだろう。二丁目の部屋を見上げたまんま月を見て、下弦なのか上減なのか迷う。一歩二歩歩いて、また月を見る。ガラスになれたらね、お前の明かりをそのまま唄で伝えれたろうにね。どうにも僕を通すと濁ってしまうね。なんておセンチな気分に陶酔してると、曲がり角で巡回中の警察官6人ほどと行き違う。ヒヤッとした。それは飲酒歩行をしているからなのかな。それとも自分の過去なんか振り返るから、捕まるんじゃないかって思っちゃうのかな。「すみません、僕は嘘ついたり、心を踏みにじったり、適当にその場を取り繕ったりしたので、捕まえて牢屋に入れて下さい!」って言えないなぁ。何で警官を見ると、何もしてないのに自分は潔白だっていう素振りをしようとするんだろ?そんなんない?何か後ろめたい気持ちにさせられるよね。
 取り留めのない回顧や反省が、近所の銭湯で我に返る。幸せな一年だったな。来年は、なんて予想できないし、明日一日の休みすら途方に暮れてる状態だから、来年の話は来年するよ。とにかく、今年一年、こんなやまプチのブツクサに付き合ってくれて本当に有難う。唄や、文章、ラジオに耳を澄ませて頂いて本当に有難う。有難う、有難う、有難う、有難う、有難う、心から、感謝を言っても言い足りない、本当に有難う。みなさんの心の中の懐かしい街の住人になっていられたらなと、来年も精進していきます。本当に有難う、有難う、有難う。
   

音楽の原風景 2003/12/7
 アルバム製作中、スタジオで出来上がった曲を聴きながら懐かしい臭いを嗅ぐ時があって、それはもうフワッとあの頃って呼ばれる風景に包み込まれたんだよ。それはさ、小学校の帰り道、いつも通りノロノロ歩いて家に帰ってたら、不意に通りかかった知らない家の窓から夕食の支度をしている音が聞こえたのね。その辺りには味噌汁の臭いが漂っていて。ノロノロ歩いてたのが、急に家が恋しくなって走り出したのね。夕暮れていて、少し心細くて、そん時は、走りながらぴーぴー泣きたかったんだよ。「うわ〜ん、おと〜さ〜ん、おか〜さ〜ん」って泣きたかったんだよ。深い理由はなくて、ただそう言って泣きたかっただけなんだけど。うん…泣きはしなかった。泣けなかったのね。新曲を聴きながら、今思うと僕がそこで素直に泣けない少年だったから、今こうして唄を作ってるんだなって気が付いたんだよ。泣いてりゃ良かったかな…うん、そうでもないな。
 中学校の時に僕は野球部だった。丸坊主でね、ピッチャーやってたのだぞ、どうだ。ただ、秘密兵器だった。試合の時の僕の守備位置はベンチだったんです。勿論、出たくて、投げたくて一生懸命練習したんだよ。だって、プロ野球の選手にならなくちゃいけないと思ってたからね。そこそこ球は速かったものの、何せコントロールが悪かった。「マウンドで金玉を揉め」ってコーチに言われた事もあった。僕、必死なんだけどね、野球が大好きでね、練習だけは優等生だったと思うんだけど、けどストライクが思い通りに入らなかったなぁ。で、三年生になった夏の最後の試合に、案の定ベンチスタートで、いつ呼ばれてもいいようにキャッチボールで肩を暖めてたんだ。僕等のチームは最終回まできん差で負けていた。一点差かな、そんなところで山口をピッチャーに出せないさ。緊迫した試合にストライクが入らなかったらムードが悪くなるからね。僕自身も僕が今投げてはいけないなと思ってた。でもさ、もう負けるかなと分かってくると甲子園なんか見ててもそうだけど、なるべく皆を試合に出してくれるんだよ、最後の試合だからね、思い出にね。で、その通り最終回の裏になって、矢っ張り僕等のチームは負けている。僕は2アウトになったらピンチヒッターで出れるかなと思ってた。そしてその2アウトになって、僕はまだ呼ばれない。最後のバッターが打席に入る、こいつがアウトになったら僕は最後の試合に出れないまま終わってしまう。矢っ張り駄目か。落胆しかけた時、監督に呼ばれた。「このバッターが塁に出たら、お前がいくぞ」と言われて、喜び慌ててバットを持って素振りをした。絶対打ってやる、三年間のうっぷんを晴らしてやる。だから、俺に回してくれ。と願ってたけど、バッターはアウト、僕の出る幕は無く試合は終わった。僕の三年間は呆然と空振りした。学校まで帰ってくるとみんな嗚咽して泣いていた。僕はどうしたらいいかわからない。ぴーぴー泣きたかったけど、泣きはしなかった。呆然として泣けなかったんだ。三年間を締めくくる最後のチャンス、華々しく終えるチャンスが、ほんの目の前、一人分前で消えてしまったのね。本当に訳がわからなかった。今になって思うと、僕らしいなぁって感じる。最後の試合に出てたら、今こうして唄を作ってなかったなって気が付いたんだ。あの時くやし涙を流してたら、僕は唄なんて唄ってなかった。
 僕は保育園の頃からアトピーがあった。アトピー性皮膚炎ってやつ。手の平から指、足の裏が乾燥して皮膚が硬くなって、ひびが入ったり、めくれてしまう。拍手とかするとプチっと切れて血が出て恥ずかしかった。小学校の時はドッジボールが得意で、クラスでブイブイいわしてたんだけども、ボールを捕ったり投げたりしてると、指先が切れてボールに血が付いちゃうんだよ。そんな大袈裟な血じゃないんだけど、女の子は「気持ち悪い〜」って言うんだよ。そりゃ、そうだよな。僕にとっては指が切れて血が出るのは慣れてて何にも思わなかっただけど、女の子にとっちゃ堪らない。女の子は体操服の袖で手を隠してボールを投げてた。仕様がない事なんだよ、手に血をつけたいって思う子はいないんだから当然の事なんだ、って思いながら、その後もドッジボールを続けなくちゃいけないのが苦痛だった。また呆然として、仕方ないから苦笑いをしておいた。本当はぴーぴー泣きたかったんだよ。泣いていい年頃だったし、多少格好悪くても泣いておけば。泣いておけば、僕は唄なんて唄ってなかったろう。家に帰ると全てを忘れた。夜、寝る前に、毎日必ずお袋が両手、両足に薬を塗ってくれてた。油っこいからガーゼとラップで包んでくれて、そんな夜の習慣が十年近くは続いてたと思う。それで、薬を塗ってもらう間、学校で習った「気球に乗ってどこまでも」を妹と大合唱して、いい気分だった。すると僕の足に薬を塗っていたお袋が不意に泣き出したんだよ。僕と妹は何故お袋が泣いてるのかが分からない。何か悪い事をしてしまったんだと思って、二人で一生懸命お袋に「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝った。この時はピーピー泣いた。今から思うと、お袋が何故泣いたのか教えてもらえず、分からないまま育って良かった。あの時にお袋が泣いた訳を教えてくれてたら、僕はきっと唄ってなかったんだ。
 だからして、僕が唄ってみんなに伝えようとしてるのってそういう事なのかなって、何となく、ふっと思った。僕は泣き忘れて来てしまったから、悲しい時は素直にぴーぴー泣いて頂戴ようって思ってたり、怒り忘れて来ちゃったから、素直に怒って頂戴ようとか思ったりする。格好悪いのは悪い事じゃないから、自分でもクスクス笑いながらいて欲しいなって思うし。みんながどうにも引き摺ってしまっている原風景は、否定しないで欲しいなって思う。勿論、僕もその原風景が堪らなく僕らしい好きな場所だし、それを元に喜怒哀楽しようとは思ってるんだけどね。すっごく素直に大声で泣いてしまえる人って好きだなぁ。とか、こぼれ落ちる様にコロコロと屈託なく笑う人を見て、何ていい笑顔するんだろうって思うよね。僕は歪んだり傾いて笑ってたりしないか、時々不安になるから余計にそういう人に惚れる、男女関係なくだよ。僕はくやしかったようとか、同情してようって事じゃなくて。泣き忘れたり、怒り忘れたり、呆然と訳がわからなかった原風景が今もずっとネックになって引き摺られて、傾きながら笑ってるんだけど、今の感情は全てその原風景に起因していて、みんなそういうのがあって喜怒哀楽し合ってるんだなって。で、その原風景を知ってると自分が足を止めてしまう時や、だらしなく弱り果ててしまう時、どうにも悲しくて仕方ない時の共通点が見えて、うらんだりねたんだりせず、もっと優しく自分の弱くて痛いとこを認めてあげれるんじゃないかなと思う。そうすれば、人の弱さが自分の中にも見つかるだろうし、見つかったら悪口が減るだろうなって思う。自分の言ってる事が正しい、間違いないなんて、言っちゃいけないって思うだろうし。格好悪いって事が悪い事じゃないって少しは自信が持てるだろうし。今、生きて、生かされて、何て素晴らしい世界を見てるんだろうって思うよ。人間、動物、どんな物体も生命がある限りは絶望しない、できない。過酷に追い込まれれば追い込まれるほど、自尊心、生きているプライドは強固になっていくもんだと思うよ。で、そうなりたいんだ、僕は…少し訳がわからないな、結局そこに辿り着くんだなぁ。
 僕は僕の心の奥の、とってもむず痒いところを唄おうとしているから、そういう点で山口の唄は分かりにくいって言う人もいるだろうね、言われた事もある。なるべく聴いてくれる人、一人一人と原風景から来る得体の知れない感情を、僕の唄と共感してもらえたらなって願い、精進しようと思ってます。

   

ぼやき 2003/12/5
 レコーディングが終わって、今日は家で主婦のように溜まった家事を片付けています。ふと洗濯機を見るとウズ高く洗濯物の山があって、一体何日サボっていたのかが、もう既に判明しない。洗濯洗剤を新調して山の切り崩しが始まりました。「何故あなたは洗濯をするのですか?」と聞かれて「そこに山があるから」と答えた有名な登山家がいたって話がある。僕は今日一日、この山との戦いに明け暮れるだろう…何て、男らしい。これからもずっと、それこそ一生、洗濯物の山と戦い続ける日々が待っているだろう…何て、男らしい。この気持ちは僕がいつか結婚できたとしても決して変わらない…何て、男らしい、お買い得でっせ。そんなこんなして、昼を迎えると、友達からメールを貰った『musicって俗語で「ぼやき」って意味があるんだよ』だって。知らなかった。偶然にしても、僕がこのコラムを『慕夜記』と付けた嗅覚は、ミュージシャンとして鋭いな…何て、男らしい。男らしい…俺って男らしい…、洗濯洗剤片手に実感する。今日は自分を相当甘やかしていたい気分だ、よき日かな。
   

無題 2003/11/28
このアルバム『夜の地図』制作中のスタジオ内は、奇妙な用語で通じ合っています。幾つかご紹介しますので、みなさんの日常生活にいかしてみて下さい。

用語1:『もう一けん!』
    ・もう一回やらせて下さい、の意。

用語2:『そうしる?』
    ・そうする?の意。

用語3:『そうしる』
    ・そうします、の意。

用語4:『エム・ディスク』
    ・MD(ミニディスク)の意。

用語5:『あれ?血が付いてる』
    ・どうやら鼻血が出ました、の意。

用語6:『ンア、ンア、ンア』
    ・みんなで仲良くやろう、の意。

用語7:『グイデ』
    ・Guideの意。

用語8:『ミューテ』
    ・Muteの意。

用語9:『別井さん』
    ・別のチャンネルに録音して下さい、の意。

ご自由にお使い下さい。
   

アルバム『夜の地図』 2003/11/27
 だいぶ慕夜いてないのは、アルバムのレコーディングの為に全身全霊を傾けているから、夜を慕っている時間が極端にないんだよ。あと、もうちょいで平和な夢を見る夜が来るかな?ぼけっと夜を考えるフクロウになれるかな?
 自分で言うのも、何だけれど、これまた自分ではっきり公言したい。
『このアルバムは素晴らしい』
小泉総理大臣のように、よく状況を見極めなくとも、
『このアルバムは素晴らしい』
と公言できる。させて。
もう一回だけ言わせてもらっていい?
『このアルバムは素晴らしい』
早く聴いてほしいです、本当に。
   

大好きな事 2003/11/14
 とても変な仕事なんだ、僕がこの短い人生の生業にしたのは。
 人に代わって啼けよ、笑えよとするのが、それが僕の仕事だよ。
 とても、とても変な気分になるんだ、
 全部、全部が吸い取られていくんだよ。
 短いけど短い人生の体験を唄にするんだ、
 すると短い上に短い人生の実感さえ、
 僕の手から、儚くサラサラとこぼれてい逝ってしまうんだよ。
 変なんだ、とても、とても不思議な気分なんだよ、
 自分を空っぽにして怒れ、悲しめとする仕事なんだ、きっと。

 電車の窓を枕みたいにして、グッタリ携帯電話をいじってる男がいるでしょ、
 窓に映った自分の姿と、グッタリもたれ合ってるんだよ。
 僕はそいつを見て、どうかすると本当に笑いが止まらなくなって、
 笑い過ぎて、声が枯れて唄えなくなるんだよ。
 だから、踊る阿呆は、本当に阿呆なんだ。

 心を閉ざすのって簡単だろ、
 僕は最近知ったよ、
 黒い川のあっちこっちに、オスとメスで産まれて、
 黒い川のあっちこっちで、つまずいてる魚にはね、
 言いたくない事や、聞きたくない事の方が、
 この短いようで短い人生の大半を占めているんだって。
 どう考えても多いだろ、
 だから、入らないんだよ、
 閉ざした心の中にはね、多過ぎるんだよ。
 あんまり詰め込むと、痛むんだよ。
 難しいけど、心を開こうとするのは辞めれないんだよ。
 だって、
 自分を空っぽにして、
 泳いで、海へ、海へと下ってるのが、
 僕等の仕事なんだよ、きっと。

 とっておきの冗談を、やっと言おうとした女の子がいるんだよ、
 でも、どっかのよこしまなオシャベリが一向に黙らないんだ、
 タイミングを探して、あんまり踏ん張るもんだから、
 鼻の奥がムズ痒くなって、その女の子は、
 「へっくしょい!」
 と、一発クシャミをしてしまうんだ。
 そしたら、みんなが笑ってくれるんだ。
 とってもとても暖かく彼女を笑ってくれるんだ。
 クシャミと共に気張ってたのも飛んで、
 情けないくらい嬉しい表情をするんだよ。
 ほっとしたんだよな、きっと。
 僕はその女の子の表情を見て、
 どうかすると、本当に涙が止まらなくなるんだ。
 啼き過ぎて、声が枯れて唄えなくなるんだよ。
 つくづく、踊る阿呆は、本当に阿呆なんだな、
 
 阿呆は、自分の意思では辞めさせてもらえないものだよ。
 
 
   

日本人 2003/11/1
 今日ニュースを見ていたら、中国の或る大学で日本人留学生と日本人教師が文化祭で卑猥な踊りをして中国の学生から猛抗議を受けているとやっていた。ご丁寧にもその日本人は中国の人を侮辱する言葉を首に掛けて、卑猥な踊りをしたらしい。今は、大規模なデモにつながって、その不届きな日本人達はホテルにかくまわれているんだって。どうにも憤るなぁ。正直に言って、物凄い腹が立つ。何故その馬鹿な日本人がそんな事をしようと思ったのか、全く検討がつかない。
 まだちょっと前に日本の会社が買春旅行に中国に来ているって問題があったばっかりじゃない。日本人、日本人、あっちこっちで嫌われて、恥ばっかりだなぁ。買春の馬鹿ッ話は他の国にも日本人という輝かしいブランドを作っているよ。「誠に遺憾です」なんて丁寧に言ってる場合じゃないね。人ん家に上がり込んでやる事か?人智を越えた歴史を刻んでいくんだね、日本人。あぁあ、日本人、日本人かぁ。
   

セカンドリリース有難う。 2003/10/26
 みんな、早速感想有難うございます。僕はセカンドシングル発売のタイミングに合わせて風邪をキャッチしてリリースしたという、イベントの多い10月です。でね、発売日に風邪でプラプラしていては、幾らいい加減な僕も、親に泣かれてしまうと思い、思い付きで深夜に病院の門を叩いて点滴をしてもらったんです。医者は『何、風邪気味くらいで俺様を起こしてるんだ』みたいな顔をしてたけど、ICUって部屋に連れていかれて点滴を打ってくれた看護婦さんが美人だったんです。暗がりで熱にうなされてたけど、そういうとこは意識がはっきりしていたみたいで、生まれて初めてナースって響きにウットリしたんです。で、点滴を打ってもらってる間、懇々と眠ったんだけども、何が悪いか、その根性が悪かったのか、ひどい金縛りに遭ってしまい、入院しているお婆さん達の中でウンウンうなされていたんです。まったくイベントだらけの10月が終わりそうね。性根を入れ替えて今年の冬も厚着しようと思います。
   

4ヶ月ぶり、in博多 2003/9/29
 昨夜は福岡のステージで楽しく唄わせてもらいました。唄いながら、客席で聴いていてくれるみんなの顔を見るのは、僕から見るステージなわけです。何だそりゃ?って思うかな。僕から見えるのはみんなの顔だから、僕のステージ景色の記憶はみんなの顔になるんです。照明の色に映って、嬉しそうで何か言いた気な表情だったり、はたまた早く終わらね〜かなって表情だったり、大きな万華鏡の中にいるようやね。その一つ一つ、表情の記憶が僕の一番の財産になってます。例えばさ、恋人がデート中に見せてくれる表情に喜怒哀楽するでしょ、表情の移り変わりがとっても素直で、コロッと笑ったり、パッと表情が沈んだりする。何を好む人なのか、何が琴線に触れる人なのか、何を想ってる人なのか憶測をしている楽しみ。そんな中で唄える幸せは感じるんです。また、僕は無駄に視力が良いからね、それも有り難い事だな。
   

男の身の丈 2003/9/23
 僕は寒がりで汗かきです。台風が訪日してからグッと寒くなったね。外に出るとウホッと身が締まるのが、あと数日は楽しめそうだな。これが本格的に寒くなっちゃうと寒がりの僕は辛くてたまらないから、この寒くなり始めた季節の頭が矢っ張りいいなぁ。
 先日、事務所のデスクの女性に「僕って暗い男ですか?」って聞いたら「いや、晶君は明るい方だと思うよ」って教えて下さった。僕は内心、逆の答えを予想していたからビツクリした。そうか、今まで自分を根暗だと思って生きてきたけど、人目には明るい男に見えてたんだなとホッとしたのと同時に多少喜んだ。感情ってどうしても提供してしまうものでしょ、四人いてその内の一人がアッカル〜イ顔でコロコロ笑っていたら何が面白いのか判らなくても笑っちゃうじゃない。明るい顔も暗い顔も周囲の人の感情に提供されてしまうじゃない。僕は自分が根暗で天気屋で、その陰の部分が周囲の人の気分を重くしていないか心配してたんだ。でも、良かった。僕は根が明るいとまではいかないにしても、どっちかって言うと明るめの男ではありそうなんだ。自分で思ってたほどの負の感情提供はそんなにしてこなかったんだろう。めでたし、めでたし。
 と思って二日、三日はどっちかって言うと明るく過ぎて行き。昨日プロデューサーの須藤さんに会ってその話をした。そうなんだ、僕は仕事の時もどっちかって言うと明るくて、現場の雰囲気をどっちかって言うと明るくして、仕事してるんだ。須藤さんにも僕はどっちかって言うと明るい空気で話をしている筈だ。と思うや否や、as soon as 須藤さん「山口は暗いよ。今まで会ったアーティストの中で一番暗いんじゃないか」とおっしゃる。うぅ、うぅん、確かに、よくよく思い返してみれば、最終的に、結局は、矢っ張り、どっちかって言うと暗い男なのか?男山口の身の丈は飛躍してくれないものである。
   

フジカワさん 2003/9/13
 これはちょいと前の話。デビュー前のウツロギな日々の話。
 この話は今やっているラヂオ番組『塵蓄夢街』でも少し話したんだけれども、以前僕は川越市ってとこに住んでいた事があるのさ。この街、真冬も12月のお寺の境内で家を持たない男・フジカワさんと出会ったんだ。その頃、僕はバイトをしながら、あてなく唄ったり作ったりする日々を過ごしてたんだよ。どこに行けば夢の入り口があるのかを見失う事も頻繁にあって、そういう時に夜の墓場を歩いてみるという荒療治を試みる事があったんどぇす。つまり、行く手のお墓の陰に真っ暗闇の恐怖があって、物凄く震え上がる訳だよね。で、恐る恐る近付いてその真っ暗闇に入って見渡すと、ただの草むらだって事に気が付く。そこで何となく吹っ切れる事があるんだよ。夢の途中、日々の生活、やろうと決めてもなかなか進まない物事、自分が恐がってたものは矢っ張り自分で作り出した幻想の恐怖で、実際は草葉の陰のなまぬるい土が横たわっているという事実があるだけ、あぁ、そうなんだ。って吹っ切れるんだよ。僕は一昨年にめでたくジェットコースター恐怖症を完全に克服したんですが、その心境にも似ているな。
 まぁ、そんなこんなで墓場で吹っ切れて、さて帰ろうかって歩き出した脇のベンチにフジカワさんは座っていたんだよ。それで何故だか覚えてないけど、僕はフジカワさんに話しかけたんだな。初めはとりとめも無い話をしていた。フジカワさんは僕を話をしてしてやってもいい人間だと認定してくれたのか、残り三分の一になった焼酎の瓶を出して「お前も飲め」って言ってくれた。最初は丁重に遠慮したんだけど、フジカワさんはそういう気遣いを嫌う人だった。「じゃあ、もらうよ」って事になったけど、ここはお墓にくっついた広場、その焼酎を受けるべき盃が無い。僕が戸惑っているとフジカワさんは電話ボックスを指差して「あそこの裏を見てみろ」と言った。果たして電話ボックスの裏を覗いて見ると、割りにきれいなコップが二つ置いてあった。コップって言ったってワンカップ大関を空けたコップ、フジカワさんの実に情緒ある生活用品だ。そつのないというか、フジカワさんのさり気ない格好良さに僕は興奮した。そのコップを一つ手に取り、フジカワさんに焼酎をついでもらおうとしたら今度は叱られた。「コップはちゃんと洗ってから使え」ってさ。で、僕も僕なりにそつのない男らしさを見せようと思い「いいよ。構わないよ」って言ったら頑として許してくれないんだ。水道のある所まで連れて行かれて「洗え」って洗わされた。そして、ベンチに戻って改めて飲みなおし、僕等は酔い始めた。出身地の話とか、この広場にいる鶏達の社会の話だったりとか、フジカワさんは日がな一日座り続ける風景を淡々と説明してくれた。今は仕事がない季節だけど、何とか来月には探さなきゃならない事。「お前な、もし公園とかに寝泊りするんだったら、屋根とかひさしのあるベンチに寝なきゃいけない。じゃないと、この季節は霜が降りるから、朝には死んじまうんだ」とか。「川越でフジカワの名を知らないんなら、お前はモグリだ」だとか。そして僕等は残っていた焼酎を飲み干した。
 夜もとっぷり更けて、寒さが身にしみる。そこで、フジカワさんから提案「ここから歩いて30分行けば通称ハシノシタって所がある。そこなら焚き火ができるし、何人か仲間がいる。ただな、ハシノシタに行っても、そいつらにお前の素性を明かしちゃいけねえ。あいつ等は俺と違って人の生活にたかる奴等なんだ。だから何を聞かれても『フジカワさんについて着ました』とだけ答えて、無駄な事を話すな。それができるんならハシノシタに行こう」って事だった。「よし、フジカワさん行こう」って僕は二つ返事をして、その墓場をあとにした。フジカワさんは生活道具を一杯に積んだ自転車を引いて歩き出す。ここは若輩者の僕がその自転車を引くべきだろうと思い「フジカワさん、自転車、俺が引いて行くよ」って気遣うと、フジカワさんはまたそれを嫌った。「俺は全然大丈夫なんだ。こんなもん毎日引きずって歩いてんだ」
 フジカワさんは僕をよっぽど悩み苦しんで社会からドロップアウトしようとしている寸前の若者なんだと思っているらしかった。深夜でも車がゴーゴー通り過ぎる国道沿いに二人ヒョコヒョコ歩きながら、フジカワさんは僕に「お前はハシノシタに行っても絶対明日には自分の生活に戻らなきゃいけねーぞ」と諭してくれるのだった。僕は言われなくとも帰る部屋を持っている。夢?唄?自分?そしてフジカワさん、自分がよっぽどちっぽけに悩んでいる事を改めて恥ずかしく思った。そして歩いた。
 暫らく歩くとフジカワさんが足を止めた。「ここだ。この建設事務所が去年俺の首切ったんだ」見れば立派な建設事務所がある。フジカワさんは「小便がしたくなった」とその塀に向かって立小便を始めた。(これは犯罪ですからしちゃあいけません)その後姿に僕は今度こそそつのない男らしさでフジカワさんの気持ちに同調するべきだと思った。そして黙ってフジカワさんに並んで立小便をした。(重ねてこれは犯罪ですので反省すべきです)背中を車がゴーゴー通り過ぎていく、立ち上がる二人分の湯気の中で何故か僕等は笑っていた。飲んだ焼酎をそこで一気に放出した気がした。それで僕等は少し冷静さを取り戻した。僕は僕の生活にそろそろ戻るべきだと思ったし、フジカワさんも若僧に乗せられてハシノシタに行って、合わせたくもない顔を見るのもどうかと思っている感じだった。「フジカワさん戻ろう」僕がおさめて「そうだな」フジカワさんが了承する体をとった。
 広場まで戻ってくると僕はフジカワさんに新しい焼酎を買って、お世話になったお礼をしようと思った。最初フジカワさんは断ったが今度は僕が頑として聞かなかった。フジカワさんは「しょうがねーなー。じゃあ、俺のよく知ってる酒屋があるから、そこなら俺の顔で安くなるからな、そこで買おう」と言って近所の酒屋に連れてってくれた。が、この夜中にやってるわけがない。フジカワさんはポケットから小銭を探し出すと電話ボックスに入り、目の前の酒屋に電話をし始めた。「もう寝てやがるかなぁ」って電話を鳴らし続けている。これはさすがに迷惑な話だから、「フジカワさん、いいよ、いいよ。コンビニに行こう。俺、今日は多少余裕があるからさ」と提案した。フジカワさんも諦めて「あっちは30円くらい高いんだよ…。それに、昔あそこで焼酎買おうとしたら断られたんだよなぁ」と渋々ながらも僕の提案を入れてくれた。また自転車を引き摺って歩き出し、コンビニに二人で行って同じ焼酎を一本買って、フジカワさんに渡した。するとフジカワさんは二人で飲み干して空になった方の瓶を僕にくれた。やっと僕等のそつのない男らしさは息が合ってきて、お互いの瓶にサインを書いて焼酎の瓶を交換した。
 「それじゃ」で別れる寸前にコンビニの明かりを浴びて初めてお互い顔の細部を知った。「お前、いい眼してるな…大丈夫だ」ってフジカワさんは驚いたように言った。この言葉は、以後の僕の自信になっている。そんなお話があったのさ。
   

9月ってやつは 2003/9/2
 10月のセカンドシングルリリースに向かって、時間が真っ直ぐ進んでいます。この寒い夏に見事なまでの未練を残してやらふと思ってます。いや、違うな。あっさり秋に心移りしてやらふかなと思ってたんだっけ、サッパリ忘れてしまったのです。どちらにしても残暑が厳しいとは天気予報の言葉だから、それなりの覚悟が必要なんだろうね。ここのところ自宅の山プチ指定席にじっとしてられない気分が続いていて、物事を裏から表まで気にする事ができない。そんな気分なんさ。
 美味しそうな生ゴミにたかるカラスに「そんなに美味しいですか?」と聞いても「カ〜」しか返ってこない。「そりゃ嘘でしょ?何か毎日を支える美味しい事があるんでしょ?」って問い返しても「カ〜」だって。色んな事に秘密が多くて、気にしない事が一矢の思いやりなのかとも思う。かく言う僕もきっと秘密のカタマリでもあるし、都会のカラスん中では僕の性格が分かりにくいのは定評がある訳だから、お互い様の中で共存する事もまま大切である。しかし、折角時間を共有する事ができた者同士、何か一つは結果じゃなくていいから、手応えを残したいと願う事が、今の気分。ん〜、俺が一番解りにくいかもな。
   

2003/8/18
 前回の慕夜記でアタクシは随分と愛情に溢れた詩を書いた訳ですね。色んな方から「結婚でもするのか?」とかお尋ね頂きましたが、決してそのような大それた、身にそぐわぬ話がアタクシにある訳ではなく、ある筈もなく、相変わらずの『抱かれたいと願っている男』No.1を今年も有難く頂いております。今現在、セカンドシングルのリリースに向けて、この鬱蒼とした天気の中、みんなで向かっております。ご期待頂けると嬉しいです。
 虚虚実実の世の中、今年の夏の湿った閉塞感。アタクシの枯れそうな事実に、夢の溢れた言葉を乗せて、皆様にお聞かせしたいと思います。頑張ります。
   

握らふ 2003/8/3
二十有余年、生きて今朝早くに
手を握り温める一瞬の誇り高さを感じる、君の決意堅ければ。
二十有余年、生きて日本に育ち
手を握り温める一瞬の行為を西洋かぶれと覚えてきた、「Oh,Yeah!」など言えば恥ずかし。

君が行く、君の行く道いと細く、右に左に汗掻く事の人より多し。
その不器量は、我の知るところ、また人より多し。
なればその愛着を以ってして、
君、疲れれば。我が率先して君を笑わん。
君、泣かば。我が君の分まで君を笑わん。
笑う、笑った、笑えば、笑え。全ての活用形で君を笑わん。
ただ一念に我が繰り言は、君は笑顔が似合ふと信じる。

君が手は、我が手の第一関節ぶん小さけれど、
握らば我が手は儚くおよばず。
君が腹は、我が腹の三食ぶん細けれど、
聞かばグ〜と、我の鼻歌儚く消され。
そしてまた、君が腹は生命のビックバン、
その累々とツナガル生命の母なり。
よく食べ、よく笑ふ。よく泣き、よく怒る。
よく寝て、よく働く。よく好み、よく嫌う。
全て君が腹なくば、かなわず。君が腹なくば、始まらず。
我この先幾年生きやうとも、身一つのスケールからは脱せず。
君この先幾年か生きなば、細胞分裂が如く人類になる可能性が未知にある。
女性は全ての可能性也。

君が見る、君の道を行くならば
女性よ、全ての可能性を以って歩かれよ。
今ここに君の手を握る我、不束男は
君の可能性の下に生きやう。
君の手を握り続けやう。

二十有余年、生きて今朝早くに
手を握り温める一瞬の誇り高さを感じる、
君の決意堅ければ。
君の決意堅ければ。
   

隠れ家 2003/7/30
 引っ越して約一ヶ月経とうとしている。最近、近所に隠れ家を見つけたんだ。別に誰から隠れるという訳ではなくて、自分を見慣れた街から隠す場所というか、言ってみれば秘密基地?が欲しくて、小さな天婦羅屋さんなんだ。お婆ちゃん独りで切り盛りしているんだ。すっごく人懐っこい笑顔のお婆ちゃんなんだ。ここ一週間近く、毎日通ったんじゃないだろうか。天婦羅屋さんなんだけどね、ゴーヤチャンプルやら、ししゃも、ほっけ、モツ鍋、生姜焼き、マグロの山かけとか、ソーセージとかあるんだよ。そうめんもあるよ。午後五時から夜中一時半までやってるんだよ。ふっとカウンターに腰掛けて、お婆ちゃんがゆっくり料理を作ってくれていると、これほど一日を大切に終わらせれる事なんてないなぁって思う。まだまだ人に教えたりしないで、自分一人で楽しんでいたいお店なんだ。お婆ちゃんの方も何度か僕を思い出せない事があったけど「お婆ちゃん、ししゃも焼いて」って頼むと必ず思い出してくれる。そして、ししゃもに大根おろしを付けて僕専用のししゃもを作ってくれる。僕が初めてこの店に入ってほっけを頼んだ時に「大根おろしをつけて」ってお願いした事をお婆ちゃんはしっかりインプットしたみたいで、今や、明太子を頼んでも大根おろしが付いてくる。これは全部お婆ちゃんの好意で、通常のししゃもや、明太子には大根おろしは付いてこないんだよ、嬉しいね。僕がいっつも大きなリュックを背負っていたり、ギターを担いでいたりしているので、お婆ちゃんは「大きな荷物だねぇ」って毎回言う。昨夜の「ごちそうさま」って店を出る時、お婆ちゃんが「背高いね、いい男だね」って言ってくれた。とても優しい声だった。お世辞でも何でもいい、優しい声なんだ。僕とお婆ちゃんは日に日に親密になっていっている。僕は少々嬉しさに緊張しながら「お婆ちゃんも美人じゃない」って言った。「おやすみなさい」は同時だった。
 早く「晶ちゃん、ししゃも焼いとくよ」って言われる仲までになりたいんだ。
 僕の家の近くの本当に小さな天婦羅屋さんの話なんだ。
   

故郷 2003/7/26
 さて、明日(7/26)は久し振りに故郷の岐阜でLIVEだ。昔使い慣れたJR岐阜駅のイベントなのかな。チョイト暗めの慕夜記を続けたが、充分今は明るくなった。ご心配を掛けたが全く御心配ない。その証拠に今日色物を洗濯しながら、このまま洗濯し続けたらこの服は真っ白になるんだろうかって悩んだりしたんだ。最も俺を悩ませたのは、何故この色物の服を着て汗を掻いてもオイラの身体に色が写らないんだろうという事。本気で悩んでいる。明日は久し振りの故郷だ。久し振りに『ドラエモン岐阜弁バージョン』でも唄おうかな。さてさて。
   

単三電池を取り替える 2003/7/23
 物事には限界がある。土気色の痩せ衰えていく生き物は、土に帰ろうとすればこそ色褪せ落ち葉のように腐食していくのだ。物事には限界がある。心通わせた人のその後を、巡り出した季節の一風景に焼き込んで、思い出すにはここに来ればいいと思うのだけど、その大好きな場所さえ、覚えておくには残酷なほど人に出会わなければならない。だから僕は永遠なんて簡単に言ってのける唄や教えは大嫌いなんだろう。どれだけ愛そうと、どれだけ嫌おうと、決して永続しない。常に消えてなくなる運命にさらされながら僕等は言葉や想いを運営しているんだよ。「好きな食べ物は何ですか?」と問われて「冷やしたぬきうどんだ」と答えても、次の瞬間にも好きだという確証が言っている本人にない。これだけ美肌やシワとりシミとり不老に躍起なこの御時世の人達に「若いままの永遠の命を与えよう」と言っても、きっと嫌がるに違いない。神であろうと仏であろうとキリストであろうと、その教えを永遠にする事はかなわない。それができていれば人間に宗教なんて要らなかっただろう。みんな、みんな、全ての現象が消滅に向かっている事。これだけが確かな出来事に感じる。有機化合物は無に向かうように出来ている。土色に色褪せ、シワくちゃになり、異臭も放つようになり、それが美しくエネルギーを循環させ、無機物に消滅して、全くの無になる。僕等の食事の中に一体何匹の有機化合動物が無に帰ったのだろう?物事には限界がある。僕の今回のこの話、これもそろそろ限界を迎えておこう。
   

仮病と発熱の間で。 2003/7/23
 ここ数日、判り易い風邪をひいた。今現在、この歳では鼻水や熱っぽさにはウンザリするのだが、昔はそうでもなかった。まぁ、二年に一回風邪をひけば多いくらいの健康優良児だったから、風邪をひくと少し頭の良い人間になれた気がしていた馬鹿だったわけです。それに、学校を休む大義名分ができる事が一番の嬉しさだった。僕は仮病で学校を休む事が多かったから、本当の風邪をひいて学校を休む時は母親の優しさが格段に違っていたわけです…って当然の事なんですが。その当時、つまり僕が高校生の時はよくよく学校を休んだんです。そしてその殆んどの理由が気乗りがしないって理由でした。何だろう、暗かったなぁ気分が。自分の持て余した興味を満たしてあげるだけの夢がなかった。学校に行けば行ったで、ぜんぜん楽しくやってるんだけどね。家を出る気力が、布団から出る気力がない日が一年の三分の一はあったな。母親が「朝ご飯やよ」と起こしに来てから三十分布団から出て行かなかったら「今日は学校を休むよ」の合図だった。そんな長男を見る父親にとっては男としての育ち方に不安だったろうなと今は思います。が、その当時の僕は、そうやって学校を休みますっていう手続きをしてから、ベッドの上に座ってボケッと庭の木蓮を眺めて寝ても寝ても解消されていかない憂鬱なストレスを多少でも緩和しようと努めていたんです。本当の風邪をひいていた時もそうですが、昼飯を食べる時にやっと学校を休んだ嬉しさが込み上げて来てました。父、母が仕事の手を休めて、三人で食卓を囲む楽しさは、土曜の午後を迎える気分に似ていた。それで午後は本を読んだり、詩や文章を書いて過ごしていたんです。夕暮れになると妹が学校から帰ってきて、不甲斐ない兄貴に溜め息つくってコースだった。
 今現在。独り暮らしの東京で風邪をひけば、咳で眠れず、ヒューヒューゼーゼー苦しんでみても、矢っ張り独り。ちょっと不安になったり、淋しくなったり。ボウッと眺める木蓮もなければ、嘆く父もいない、不貞寝する僕の顔を見て大笑いする母もいない、部屋から出てこない兄貴に呆れる妹もいない、みんな実家においてきた。熱と鼻水にうなされて、さて飯は何を食べるべきか考えて、明日の仕事の為に、今は風邪をひくのが本当に嫌いだ。気持ち良く、沢山の空気を吸いたいし、美味しく酒や煙草が吸えて健康体なら何もストレスを侵してまで禁酒禁煙なんてしなくてもいいのだから。ちょっとくらいの運動で咳き込んだり、息切れが戻らなかったりしなければ、どんなに楽か。どんなに楽しかった事か。薬だ何だ…。あ〜あ、風邪って馬鹿馬鹿しくなった。今日は病院に行かなくちゃなって思ってたけど、もういいや。今日はいいや。仕事まで不貞寝しようっと。
   

岡山だ、岡山だ。 2003/7/22
 岡山に初めて足を踏み入れた。人は鬼ヶ島だ吉備ダンゴだ言いますが、僕もワイワイ言ってしまいました。色んな所に行く楽しみはそこにあって、初めは有名なオーソドックスなところから入って少しずつコアな情報に迫っていくのが楽しい。方言もそう、徐々にスラングな言葉に近付いていくから楽しい。矢っ張り岡山弁を幾つか習ったんです。先ずは有名なところから『ぼっけーきょーてー』なんて連発して覚えました。『とっても恐い』って意味なんだって。日曜日の夜の酒場、一緒に飲んだ小柄なA氏に教わった岡山弁でボッケ〜惹かれた言葉があった。それは『早よしねー』って言葉だ。これは『早くしなさいね』って意味だそうです。こんなサディスティックな方言にはつくづく感心だ。『早よ死ね〜』に聞こえるから知らない人にとってはビックリだろうけど。僕は嬉しくなる。例えばさ、僕がいずれいつになるか、まぁ、結婚したとしてさ。奥さんには毎朝この言葉で起こしてほしいよね。枕元でさビシッと「早よしねー!」って起こされたら俺は「はいっ!」って起立する自信があるね。『早く死ね』って意味と『早くしなさい』の両方の意味から言われたら、これほどの緊張感はないよ。ぼっけーきょーてーよね。そんなきょーてーお嫁さん探しは是非岡山でしたいなと思いました。
   

お引越し 2003/7/19
 お久し振りです。久し振りにボヤキます。何しろ引越しをしてたもんだから、こんな調子さ。つまり、段取りがお上手な人間じゃあないから新居に移る直前でインターネットの引越しの手続きをしてしまい、今日までインターネットは出来なかった訳です。今日は新居からの初のボヤキです。ついでに『ツブヤキ工場の人々』も新しいエピソードを足そうと思います。皆様にとっては今までと変わらないゴシック体の文字でしょうが、僕の自身としては随分気分が変わってます。ヨロシクネ。
 引越しというのは意外な掘り出し物が出てくる時期でもあって、何かと荷造りの邪魔が入るものです。ノートの切れ端に1,2行だけ書いた詞の断片とかが山のように出てくるんです。僕は昔からノートとかを効率的に使えないタイプで、1ページに割としっかり書いて埋めるって事が出来ないんです。いっつも2,3行だったり余白が多いものばかりなので、そりゃまとまらない訳よ。で、その言葉言葉って保管しとくべきか、破棄してもよいものか、大変迷うものなんです。そんな自分をこの引越しで見せ付けられたので、さすがに反省しました。過去に足を取られないニヒルな男になりたいもんやね。
   

石を拾う 2003/6/29

石を拾う、ただ何気なく。
石を見る、矢っ張り何気なく。

河岸に居て、
石を拾わない人がいるだろうか?
拾った石を見もせず投げ捨てる人がいるだろうか?
その答えは、誰の口からも聞きたくはないのだけれど、
そんな独り言を、つい誰かに聞かせたくなってしまう。

夜の木陰の一層暗い所で、
暫らく石を眺めては、幾度となくブツブツ言うのだが
遂に僕の右手は大きく振りかぶって
石を投げる。

それは対岸に瞬く、夜空の中
仄かに揺れる赤い星に向かって投げたのだ。

届けと願う事は、野暮なんだと
人生の先輩に言われて来たけれども、
今は踊る阿呆を演じ切りたいと
人生の後輩に言い換えたい。

石は飛び、
やがて力尽き、
川面に映る赤い星に命中する。
向こう岸にさえ届かないのに

これが僕なりの決着になるだろう。
理想と現実の一層不可思議な間隔に力尽き、
いつかは当たり前の答えを拾おうと、
石を投げ続けるだけなのだ。
   

オイテケボッチ 2003/6/9
明日からは梅雨に入るんだろか?
そんな事も御構い無しに君は、あの坂を上るんだな。
明日から何か劇的に変わる事もきっとない、僕は低気圧に落ち込まされるだけ。
そんな事も御構い無しで、揚々とあの坂を上る君を想像している。

君が君の後姿を捜す事は、きっと無駄にはならないと思う。
でも、それ精一杯で、一生懸命で、努力して、頑張って、耐えて、向き合う事で、
今日すれ違ったセムシ男を覚えてるかい?
ゲームセンターの角で、歯の抜けたバアさんが赤ん坊をあやしていたのを覚えているかい?
商店街を全速力で自転車を走らせていった作業服の男の顔を覚えてるかい?
そして、
今日、君を見ていた遅れ咲きのマーガレットを覚えてるかい?
あいつはみんなより不器用で、うまく春の準備もできなくて、
もう梅雨に入ろうかっていう、こんな日にやっと白い花びらを広げることができたんだ。
周りの花達には迷惑だったろうよ。この時期の花畑にポツンと穴を空けたんだもの。美しくないよな。
ああすれば良かった、こうしなきゃ駄目だ、一杯言われたんだけどな。
でも、咲いたんだ。
確かに咲いて君を見ていたんだ。

オイテケボリだって言った君の言葉に、オイテケボリにされているもの達。
きっとそれを自然って呼ぶんだな。

オイテケボリだって言った僕の言葉に、君がオイテケボリにされたんだから、
きっと君も自然体なんだな。

あのマーガレットは、明日には僕等を笑うよ。雨に憂鬱な僕等の顔を、シットリ笑うんだ。
そして僕等はまた気付いてやれないのかな?
傘を差すので精一杯、早く坂を上ろうとする。
精一杯って、そういう事なんかな?

明日はきっと雨だよ。
そんな事も御構い無しじゃ、あの坂は上れないんだな。
明後日も何か劇的に変わるものはなく、雨は続くよ。
そんな事も御構い無しじゃ、揚々とあの坂を、君と見れないんだ。
   

M気質と云う考察 2003/6/3
 昨日、僕も「夕焼けが奇妙だ」と友人から一報もらって慌てて外に出たんだけど、僕の住む東京の住宅街では建設ラッシュのマンション群に阻まれて見れなかったんだ。八十年生きても約2億5千万秒しかない。その刻々と移り変わって一日として同じ色をしない空を見落としたのは、いと悲し。いと切なし。天気予報に何度くもりと言われても、その言葉に甘んずる事なく変化している空、あぁ、いと愛し、いと愛し。さぁ、今夜も丑三つ時。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ンのボヤキをしてみよう。

 ラジオなんか出てると、時々「山口さんはMなんですか?」って質問を何故か受ける。これ不思議。僕のかもし出すフェロモンがそうさているのかもしれない。確かにこの質問をされる方は女性の方が多い。って考えればまんざら悪い気はしないんだけども…。そんな色気をよそに僕は決まって「Mです」と迷わず答える。余韻のヘッタクレもない。その潔さに一瞬戸惑われる事が多いし、僕の方もそんなキャラクターが電波に乗って行く事を一瞬後悔する。が、仕方ない。ヘッタクレもなく宣言したのは僕の口だ、叱りようがない。
 先日ミュージックB・Bという番組で僕が原史奈さんと話している姿を自分で見たんですが、矢張り山口晶とか云うミュージシャンは「Mです」と惜しげもなく答えている。如何ともし難い男だ。「Mっ気たっぷりな曲です」だとか「縛られた後の縄目の跡を見ながら曲を書いている」とか、あんな美人に向かって話す内容ではない。これでは誤解を受けるんじゃないか心配になってきた。Mと云う事が間違いではないから嘘はついていないんだよ。ただ、肉体的Mではないと云う事をお伝えしたい。僕が縛ってもらって嬉しいのは靴紐と財布の紐ぐらいのもんだ。つまり、そう云う事。経験はないが身体を縛られて縄目の恥に曝されても、きっと山口晶とか云う生き物は「痛いっ」って言うだけで喜びやぁしないんだよ。そこに恋はない。鞭で打たれても同じ。じゃあどこがMかって云うと心なんだな、きっと。
 例えば、女性が僕に腹を立てたとするでしょ。物凄く怒って、物凄〜く御立腹な訳よ。そん時ってね、真っ直ぐ僕を睨むんです、普段はそんなに視線を合わす時間ってないのに、ここぞとばかりに僕の眼を見て放さない、金縛りをかけようとする。その眼は一挙手一投足見逃さない気勢で、ちょっこっとの嘘も見抜いてやるって爛々と輝いている。これが物凄く恐くて、また惹かれるところなんです。ゾクゾクするよね。こんなに真剣に僕を見つめる事はないんだもの。で、絶対かなわないなと降参したくなる瞬間が、僕のMと呼んでいるところです。わかるかな?わからない?ん〜、無理もない。
 僕は結局また誤解を招くような事を言っているのかもしれない。でも、男より女の方が強いって云う絶対的な摂理に打ちのめされ、恋焦がれている自然児であると言いたかっただけ。僕に亭主関白は向いてない。今度、みんなに『イタズラ』って曲を聴かせよう。僕がそのへんの想いをギッシリ詰め込んだ唄なんだ。
 
   

落ち着かない 2003/5/29
 先日の大阪802のイベントは本当に楽しく唄わせて貰いました。暖かく聴いてくれた関西の人達に本当に感謝です。イベントが終わってからも何か落ち着かなくて、楽屋にジッとしてられなかったんです。興奮が修まらなかったんだろうね。ウロウロ徘徊してしまって、で、転げ出した、そこはお客さん用のトイレ。そんでもってまゆさん達が気付いてくれて「あぁ、あの水玉模様はさっき唄っとった奴や」ってな感じだったでしょうか?矢っ張りはじめて聴いて貰った人に直に話をしたくなるから、とっても嬉しかったです、本当に有難う。とは言っても僕の方も興奮冷めやらぬ状態であったのでトンチンカンな事を言ってた記憶があります「あぁ、こっちはトイレやったんやぁ」って二・三回言ったと記憶しています。何はともあれ大阪、またライヴで行きたいね。
 その後は打ち上げに行って、一緒に出演した東田トモヒロさんと熱く話し合えたんですよ。東田さんは熊本出身だそうで。熊本と言えばね、僕は高校の修学旅行で行ったんです。長崎からフェリーに乗って熊本に入り、そして阿蘇山に行きました。その道中にバスガイドさんが唄ってくれた唄があったんです。それは僕が保育園の時によく母親が子守唄で唄ってくれた唄で、物凄く悲しいメロディー。言葉はたぶん古い熊本弁だろうなと思うんだけど、その当時まったく翻訳できないでしょ。ただ要所要所の言葉はわかって『早よ寝ろ泣かんで、オロロンバイ』『この道キュウスケドンが連れん来らるばい』『帰りにゃ寄うちょくれんか』が異常に恐かったんです。だから、僕にとってはチッとも子守唄にならなかった、返って恐くなって、淋しくなって、一人ぼっちな気がして眠れなかった唄なんです。その眠れなさがトラウマにになって今では立派な宵っ張りです。まぁ、そのお陰でこの様に慕夜記が書けているんだから痛し痒し。何でその唄を母親が知っていて、どうしてこの唄を唄ってくれたんかサッパリ不明のまま大学生になって、そこで初めて母親に訳を聞いたら「えぇ、ワタシそんな唄を唄ったっけ?あぁ判らへん。アンタが間違えとるんやないの?」と言われ、俄然僕のトラウマは意味不明になって成長してきた唄なんです。だから、東田さんにこんな唄知ってますかって前述した恐い部分を唄ってみたら東田さんが「それ、イツキの子守唄だよ」って教えてくれました。なるほど「イツキの子守唄」って言うんや!知ってる人はいるのかな?トラウマなんて言ってはみたものの、結局思い出深い大好きな唄なんです。東田さんも好きなんだそうです。確かに故郷の言葉の子守唄があるってのは羨ましい話だな。ただ東田さんの話によると、その「イツキの子守唄」の故郷は今、ダムに沈む危機にあるそうです。あんな美しい唄が、水の底に沈んでしまう事ってのは、「イツキの子守唄」に親しんできた僕にとっても故郷を失うような心持で、靴を履き忘れて街を歩くような気分なんです。矢っ張り落ち着かないんだな。
 みんな夢があって「**になりたい」って思うでしょ。でもさ生まれてから自分という個性は変えられずに来たでしょ。だから、何かになるなんて矢っ張り無理だと思うんだよね。「自分が誰か?」っていう意識が自分の道を見つけて、自分にしかできない事をして、自分にしか見れないものを発見していくと思うんだよ。そうするとさ、色んな意味での故郷、これは自分ってものの発想の中核になってると思うんだ。とても重要なヒントどと思うんだ。
 「イツキの子守唄」は僕の中核の重要な一部分になっているものなんです。
   

大あくび 2003/5/25
今夜は大阪のインターネットカフェからボヤいてます。
 今夜のインターネットカフェは前回より部屋も明るくて、陰気な感じがなく、キーボードを打つ音やダブルクリックの音が忙しく聞こえてくるのでホッとしています。「よかとこね」今日、博多で入ったレストランで、来るウェイトレスさん来るウェイトレスさんに一生懸命言い続けていたのですが、苦笑いでした。「注文よかですか?」とかね、不必要に言われ続けたって「何に致しますか?」以外答えようがないんだけどね。博多にいる実感を妙な所で求めてしまう俺なんさ。
 昨晩の博多。夜も0時に近付いた頃、ウロウロとホテルから抜け出して独りブラついてみた。オイラが辿り着いたのは「親不孝通り」って呼ばれる道だった。何だか身につまされて、俺が歩くにゃ心苦しい通りだなと思った。地図も見てないし、通った事ないし、知らない人だらけ。ただこの「親不孝」って通りの名前だけ親近感があって複雑な気分の散歩だったよ。ここにたむろしている連中も親不孝なんかなって思ったりして。金曜の夜だ、多少の親不孝も発生するんじゃろ。そんな事を考えて小一時間、まっすぐ歩いてまっすぐ帰った。
 今夜BBSを読んでビックリしたんだけど、前回ボヤいた事に想いを寄せて書き込んでくれたみたいで。僕の言葉は文字通り夜を慕って記しています。日々見たもの、聞いた事への想いをボヤいているんです。僕の中で結論めいた言葉は避けて、ただ、明日、明後日、明々後日と心をつないでいっているんです。取り様によっては過激に聞こえる事もあるかもしれません。だけど見たものへの愛着から出てくる言葉をイヂくっているわけです。こうやって書くと無責任に聞こえるのかな。でもこの言葉は僕が心を砕いて紡ぎ出した言葉、ただ一つの情報だと思ってね。僕が体験した事の根拠は、やっぱりみんなとは違ってくるわけだし。眠る直前のあくびの顔を見てもらえば分かると思う。僕は実に僕らしいだらしない顔でブワッと一息つくわけです。みんなもそんなんでしょ?あくびって言葉一つに僕はみんなのその顔を思い浮かべて、それに愛着があって「あくび」って文字一つを言うんです。だから色んな意味や可能性を持ちますが、至って「あくび」という言葉は記された情報でしかない。僕はみんなに「こういうあくびをした方がいいんじゃないの」って言いたい訳じゃないんだよ。僕の終わりのない思い付きが、みんなの優しい心の中で解釈された「あくび」っていう身近な実感にしてもらえたら、この慕夜記もその意味を深めるんです。
   

ユーカリ 2003/5/23
 今夜、福岡からボヤいてます。
 何てとこなんでしょう、インターネットカフェ。僕は今、福岡のインターネットカフェでみんなからのメッセージ読ませてもらいました。僕はこういう場所に入るのが初めてで、リラクゼーションルームと呼ばれる個室に入れられたんですが、全くリラックスできてません。パソコンを使いながら一体何で身体を休めろと言うのか、悩んだままになりそうです。真っ暗で淫靡且つ陰気な雰囲気。しかも僕はブラインドタッチができるような猛者じゃないから、さっきから打ち間違いの連続です。誤字脱字があるかもしれませんが、何とか時間内に書き上げようと苦戦中です。

 このキャンペーンはね、割りとミッチリ駆け足なんです。大阪では551の豚マンをプラットホームで2個食べました。僕は三月末から行った「人影to・ca・geツアー」で大阪に来た時からこの豚マンのトリコなんです。前回もゆっくり食べる余裕がなく大阪駅のプラットホームで喰らったんですが、今回もまた同じ大阪駅の京都行きのプラットホームで喰らいました。(チッ、“喰らった”を漢字にするのに十分もかかった。俺の使い方が下手なんかパソコンがお馬鹿なのか)この豚マンの食べ方は当分恒例になりそうな気配です。広島では冷麺のつけ麺を食べました。僕は辛いものに滅法弱いから1辛から20辛くらいまで有りましたが、迷わず1辛を頼みました。これも滅法美味しかったよ。
 今日、初めて広島の街に降り立ちました。そしてラジオに出演する合間で広島城跡に行ってきました。(チッ、“ヒロシマジョウ”って打ったら“広島嬢”って出る。矢っ張りパソコンの方がお馬鹿なようね)石垣がしっかり組んであって、今は残っていない広島城のかつての雄大さを想うことができました。
 そして、そこの一角にね、その一角に一本のユーカリの木が枝垂れて生きています。何でもこのユーカリの木は原爆に被爆しながらも今まで命をつないできた木なんだって。爆心側の背を黒く焦がして立ち続けた木なんだって。その頭はお堀の水に少し浸かっていて、樹皮もその年輪のしわをひねって老いている。今日は天気が良かった、石垣にあったはずの建物は原爆のせいじゃないにしても何も残っていない。何も残ってないって思い付きに妙に静かになった。一瞬で街を消す火って何だろう。歴史も生活も一度に焼ききった人間の仕業って何だろう。このビルもこの病院も、この道もこの橋もみんな、その火の後に作られたものなんだろうか。一つ一つの想像にいちいちゾッとした。料理中のフライパンに人差し指があたっただけで大騒ぎして氷水に指を突っ込む僕が、理由も分からず街や家族が焼かれてしまう気持ちには到底辿り着けない。でも、辿り着けない人間の仕業なんだって自覚せざるを得ない。これほどの苦痛を背負って、人間はまた次から次へ苦痛を背負い込もうとしている。無理に決まっている。父一人、母一人、子一人背負う事の精一杯を知っているだろうに。いとも簡単にその優しい背中を焼いて、気付いたフリをして、気付かないフリをしていく。
 僕等は丁度つなぎ目に生きている。戦争は体験していない世代だ。でも、実感のない戦争の代償は背負わされている。そして戦争が起きてもおかしくない違和感は何気なく感じて生きている。僕は以前ハルピンに行った事がある。日本の軍隊が中国の人達を実験材料に化学兵器を研究していた土地だ。人間に動物の血を入れ替えたらどうなるかとか、幼稚な発想を残虐に実現させていた土地なんだよ。ハルピンに住む僕と同じ世代の中国の人達が、僕を嫌うのは仕様がない。僕が彼等に持つ気おくれも仕様がない。僕と彼等は面識以前に背負わされた歴史に違和感を持ちながら、結局友達になれないのは仕方のない事だっていつになったら納得できるんだろう?僕等は微妙な時代に生まれて将来への決定的な選択を任されているのかもしれない。
 一本の老いたユーカリの木は僕等がどう選択していくべきかを知っている。そして、無言のメッセージを送り続けてくれる。少なくともこのユーカリは命を長らえる事で将来への選択をしたんだ。僕等にできない選択でもないんだろうね。
   
留守電 2003/5/19
 雨が降る。こんな日こそ溜まった洗濯物を一気に洗って台無しにしている僕は、今日もご立派。気分は良いんだが、ベランダで肩を垂れる洗濯物を見ると申し訳がないと思う。アスファルトに迷い込んだ空の汗は、ここらじゃ臭気になって肺を苦しめる。その東京の空に浮かんだ幾つもの泡のカタマリは、低気圧になって肺を苦しめる。僕のお天気屋と呼ばれる所以はここにあって、雨が降っている日を振り返ると大半が感傷的になっている。そこに惹かれてるのかもしれないね。
 今日割りに遠くに住む友人に留守電をいれた。その友人から「今日は霧雨だ」とメールを貰っていたからだ。「こっちも雨だ」と伝えたかった。でも、直接会話してしまうよりも今日の雨を伝えるには留守電の方がいいなと思っていたわけだから、願いが叶った。音のない雨に湿らされているよ、シトシト静かな夜だよ、へへ。友人も僕も留守電を入れ合った。電波を通して違う街の同じ風景に喜びを持った。派手じゃなく、静かな喜びに、次に会える日を想った。
 僕は未だに洗濯物をベランダに干しっ放しなんだよ、へへ。
   

『Que,sera sera』 2003/5/14
 ひょっこり、まだ起きてます。夜を慕って記しています。お湯を少し多めに沸かしてね、それを急須と湯呑に入れて温めて、急須のお湯は捨て湯して、急須にお茶ッ葉を入れて素早く蓋をするのさ。そうやってお茶っ葉を軽く蒸して、その後、湯呑に寝かしておいたお湯を入れてお茶を出す。少し面倒なお茶の入れ方だけど、新茶の季節に矢っ張り美味しく飲めるから今夜はそうしてススッてます。時計は5月14日を告げました。色々BBSに書き込んでくれたり、メールをくれたり、応援してくれてみんな本当に有難う。この貴重な瞬間を過ごすのに、とても大切な言葉をみんなに貰ってます。今、部屋で独りポツンとパソコンの前にいますが、とても暖かくて、ひょっこり、まだ起きているんです。何たって独りに感じない。ラジオの番組宛にメールを送ってもらっているのも大切に読ませてもらってます。掛け値なしで毎回感動しているんです。本当に有難う。
 今、僕の傍らですっごく古い曲が流れています。ドリス・ディって人の「Que sera,sera」って曲なんです。この曲に出会ったのは小学生の頃かな、家族旅行の時とかに山口家の車の中で流れていた曲なんだな。当然、その当時は曲の意味なんて知らなかったけど、車窓から差し込む陽射しの中で聴くのが好きだった。小学校を卒業してからはとんと忘れていた曲なんだけどね、こないだふっと聞きたくなってCDを買ったんです。そして今また、移動中や寝る前なんかに聴くお気に入りになってます。こうして聴いていると、無性に落ち着いて、無性に眠くなってあくびが止まらなくなってしまう。だからどうしたって事じゃなくて、何が言いたいんだって事じゃなくて、今にも閉じそうなまぶたの上で考えて、書き込んでるんです。先ず、感謝の気持ちを伝えたかった、それだけなんだよ、実は。もぅ、ちょっとやそっとのカフェインじゃ眼が覚めなくなった。5秒でも手を止めて考えれば、即刻睡眠の世界に魅せられてしまいそう…だっ…。
   

寝相占い 2003/05/10
 ちょっと前の故郷岐阜での出来事。日増しに身体のツボについて詳しくなっていく我が妹に、健康診断をされた。「夜寝た時のままの姿勢で朝起きる?」って妹に聞かれて、僕も兄として行儀がいいんだって事を教えてやろうと思って、結構威張って「一寸のくるいもなく、そのまま気を付けの姿勢で眼を覚ますね」って答えたら苦そうな顔で呆れられた。何でも睡眠時は身体をゴロゴロ寝返らせて、色んな部分の疲れを癒すんだって。だから、子供の頃の寝相の悪さは大変良い事なのだそうな。それに引き換え俺ときたら、真っ直ぐ寝たら真っ直ぐ起きるわけで、全くどこも癒していないわけだ。「晶君、それは良くないよ〜」って妹に不健康を突きつけられ「だから足つぼマッサージをやってやる」と優しき妹は俺のギブアップも聞き入れず、ツボを押してくれた。予想の五割増し痛い「い、痛い」と言っても「わかっとる」としか答 えてくれずグリグリやり続ける。こうして久し振りの帰郷は健康になったのか判らないまま過ぎていった。みんなも寝相は悪くして健康を保って下さい。僕は確かに寝相がいいと自分で自覚し得る限りはそう思う。ただ自分で把握できない事もあるから困るよな。俺はどうも寝言を沢山言うようだ。周囲の友人からぞくぞくと苦情が届いている。寝言でお経を読む爺チャンの血を引く俺だから、きっと本当に言ってるんだろう。しかし、俺の睡眠中の醜態はそれだけにとどまらなかった。寝言に歯軋りを加え、寝唄を唄い、寝踊りを踊り、仕舞いには自己紹介までやったそうな。このセットを一晩でやってのけたみたい。
 身体の疲れを癒す為に寝返りを打つのなら、脳の疲れを癒す為に寝言があるって事でしょ?だとすれば案外俺の知能は高いのかもしれない。否、阿呆やから普通の事を考えるのにすら疲れてしまっているだけなのか。無意識にはびこる自分を研究してみたくなった。

電波に乗って 2003/05/02
 とうとう五月に入り、『ヨダカの星』が発売される日が近付いて来た。みんな、色んな応援有難う。いい声や、いい唄で、応えていこうと思ってます、ガムバルゼィ!
 所謂デビューで、つまり山口晶のCDが発売されると云う事なわけだなぁ、と思うんです。最近色々と御報告を受けて実感し初めているんすよ。ラジオや有線の電波に乗ってヨダカは日本を旅しているようで、友達から「今日、薬局で聴いたよ」とかオカザキ君の書き込みの様にパチンコ屋の前で聴こえて来たり、コンビにで聴こえて来たりするようです。ちなみにオカザキ君へ、しっかり覚えてるぜBigMouthで熱く語った事は。
 昨日は沖縄の友達から電話があって「喫茶店にいて、聞き覚えのある唄が流れてきたと思ったら晶君の唄やった」だって。ヨダカは沖縄にも行ってるみたい。今日は仙台の友達から連絡もらった。そういう御報告に僕はイチイチ緊張してしまって、これまたイタタマレナイ興奮もあるのです。その度に俺もどっかの店で聴いてみたいなぁって思って、用もないのにコンビニに長居してみたりするんですが、未だに聴いてません。ヨダカは忙しくて俺んとこまでは手が回らないらしい。とにかく実感だ。
 メディア情報に載っている通り、今僕は東北放送でレギュラー番組を持たせて頂いている事もあって、仙台に行く機会が増えました。そのラジオの番組をやってる時って、一人喋りなわけですよ。防音のブースの外ではスッタフの方とか、今日誕生日を迎えて三十路に足をかけた僕のオシャレなマネージャーが居て、僕の話を聞いててくれるんです。が、何しろ防音のブースの中で僕はマイクとにらめっこして、ブツブツと話しかけているという光景です。何か暗いよね、その姿だけ見たら。だから、正直どれだけの人が聞いていてくれるのかなんて全然分からないし、不安になったりもするんだよ。
 先日、仙台にラジオの仕事でまた行ったんです。一日ラジオのゲスト出演とかやって一日の仕事も終わりかけ、さて東京に戻ろうかと仙台駅のエスカレーターに乗っていましたらば、僕の背中に不意をついて声が聞こえたんです「すいません、山口さんですよね?」って。振り返れば女の子二人が僕を見ている。これは間違いなく俺に声をかけてくれてる!と思い「えっ?そうやけど…」って答えた。女の子二人は「写真撮らせてもらっていいですか?」って言ってくれた。僕のそのラジオ番組で聞いた僕の声と、インターネットに乗っかってる僕の写真から、あの男は山口晶だと思ったんだよね。すごいなぁって、信じられないくらいビックリした。しかも、ラジオから僕を知って声をかけてくれたのは彼女達が初めてだったんです。彼女達は緊張しながら僕の横に並び、一緒に写真を撮ったけど、何て事はない、僕の方がもっと緊張していたんだ。本当に感動した。有難う、彩ちゃん。あの時撮った写真の僕はいい男に写ってたかな?眼をつむったりしてなかったかな?
 その日の東京への新幹線の中、夜に浮かぶ街の灯りを見ながら、この灯り全部に電波はつながって、ヨダカが走り回っている事を実感した。そして、僕自身も走り回れるって勇気を持ったんです。

初心と思しき条 2003/04/25
 僕が自分の唄に求めるものは、そこいらに無数に落ちている塵や埃の様な美しさ、またそれへの憧れ、と言えば多少良い響きになりますかね。こんな事を平気で言って、と思う自分の羞恥心への挑戦もあります。僕の唄を聴いて、悲観的な唄じゃと思う人もいるでしょうが、じゃ僕が悲観的な人間かと申さば、決して違います。じゃと申して楽観もしないんです。人や自然や生活や呼吸などのサイクルの中で、至って平坦にうかがい見ているのが、僕です、ね。
 雲は綺麗だし、空は青く広い。風も心地よく、気温も最適。このごく普通な天気、どうでもない生ヌルイこの日を自分の言葉で表現したい。きっと、こんな日記に書くのにも悩んでしまうような平坦な一日も、僕にとっては限られた奇跡、そしてその消費なのでしょうから。不思議ですね。楽しいですね。悲しいですね。笑っちゃいますよね。それならそれを、唄にしてみたらどうだね。
 夜毎に僕の過去が、こう訴えてくるんです。

人影ツアー慕記 2003/04/23
 お陰様で今回の全国人影ツアーも無事に終わって、僕自身の余熱も少しずつ落ち着いてきたところです。全国の皆さんと駆け足で知り合えた旅です。実際、楽しい旅だった。唄う事の幸せを再認識する旅だった。
 まだ肌寒い朝、僕の旅は上野駅で迷う事から始まった。東北新幹線の乗り場自体が遠くてなかなか安心できないまま、必死に新幹線のマークを追うオリエンテーリング。ギターとエフェクターボックスと鞄を持って急ぎ足に歩いていたわけだ、一人で二人半前くらいはある。やっと新幹線のホームに辿り着いても、今度は号車案内が不親切でどこで待っていたらいいのかが解らない。まだ肌寒い朝だったのだが、僕は汗だくになって新幹線に乗り込んだ。これが人影ツアーの出発、前途を占うドタバタな船出だった。実際、ドタバタな旅でもあったと思う。駆け足だから足音が鳴るようなお行儀の悪い事も間々ある。これこそと信じた美味しい味も、次の朝にはスッカリ忘れてしまいながら、人の影を伝って、もう、どこへ行けばいいのーっ、な旅。
 時間の許す限りこの人影ツアーを続けていたいとも思ってしまうのが正直な気持ちではある。こんな事をつらつら考えて、思い出や拾い上げてきた気持ちは結局まとまらない。だから、各地の思い出をゆっくりゆっくり整理しながら、小出しに皆さんにご紹介できたらなと思っています。それぐらい内容が深かった事をご理解願える と幸いです。

あかん、矢っ張りおかしいて。 2003/03/21
 「このミサイルは正義と自由の為に使われます」
 「ほぅ、そらぁ感心や」
 ってなるかぁ!
 自由の為に戦争するって強調する指導者がおるよ。そしてその指導者はその国で7割の支持を得たという。自分の国の自由が世界一やから、みんなやった方がエェぞと言いたげやなぁ。君んとこの自由は鉄砲持って人が撃てるって点で自由には見えるけれども…。イラクの人達を自由にする為の戦争らしいよ、今回は。知ってた?気付いた?一見もの凄い強引に喧嘩売ってるように見えるけど、違うらしいよ、今回は。俺はビックリしたもん、と言うよりも感心した。「えぇっ?自由にしてあげたい人に銃口向けるの?」「矢っ張り一人二人の犠牲者は自由の為なら気にせえへんの?」「自由って世界共通のものなの?君んとこの自由は普遍のものなんかい?」「何人殺したら成功で、何人殺すまでは最小限の被害って言う気なの?」
 強欲なお節介様が人ん家の夫婦喧嘩に割り込んで、片寄った仲裁をして結局しこりばっかり残していく。元これ愛し合った夫婦やから一時の喧嘩に顔突っ込まなくてエェのよ。何とかしようたって文化が違うから結局自分等で仲直りしてもらうしかないんやから。今までそんな事で一つの国を分裂させたり沢山あったでしょう。もうやめようや。ホントに、ホントに。
 ミサイル作って金貰うのやめようや。ホントに、ホントに。
 ミサイル一発でどれだけ沢山殺せるか必死に考えて科学者になるのやめようや。ホントに、ホントに。
 そして、より殺傷能力に優れたミサイルを作った人を褒めるのやめようや。ホントに、ホントに。

僕は疑問だ 2003/03/10
 フランスの哲学者パスカルの言葉で『力の伴わない正義は無効であり、正義の伴わない力は暴虐である』というのがある、らしい。僕はこの言葉に完全に共感する訳じゃないけど、何か今の国連の構図に見えて面白い。結局、今の情勢の中でこの二面性は反目しあい、対立する意見になっている。このパスカルっちゅう人は力と正義が伴わなければいけないという事を言いたかったのかな?それは実現するものだと思ってたのかな?矢っ張り、それって現代の国際社会にはチョイと難しいみたいね。正義が伴った力なら戦争はやむなしっちゅうのも強引だしな。世界共通の正義があればいいけどね、そんなのも無理だよね。
 桃太郎だって強盗まがいな事を正義の名のもとにやってるし、金太郎も動物虐待だよね。こんな風にウガった見方をすれば、正義なんて灯火は、たちどころに消されてしまうんだ。だから僕は最近のニュースで連発されている「正義」って言葉が嫌いなんだ。もっともらしく堂々と連発されている「正義」って言葉に吐き気を感じる。犠牲が伴う以上、正義なんて軽々しく言っちゃいけないよ、矢っ張り。「正義」って実在するのか?どうもあやしい。
 この答えが判ればきっと平和って言葉の本当の意味も判るだろうにね。

オー マイキー! 2003/03/05
 先日マイケルジャクソンのドキュメンタリーを見た。見た人もさぞかし多いことでしょう。大体は予想のつく内容だろうと思ってたけど、予想通りだった。あれが報道っちゅうもんなら大笑いします。僕はマイケルジャクソンのフアンじゃないのよ。でも、ある程度は知ってるし、彼の唄とは「We are the world」以来の付き合いだ。っで、そのある程度の知識はある僕は思うのさ。
 大体がマイケルジャクソンを気の狂った人に見せようって云う邪心が見えたのは僕だけかな。一つだけ例に上げると、顔の整形手術の事を取り上げてたのね。イギリスのレポーターだったか、とにかくオッサンが浜辺で黄昏ながら考えている「私はマイケルから真実を聞きださなくてはいけないと、インタビューに備えていた」ってな感じさ。それ普通に疑問だよね。整形してるか、してないか、何で本人の口から聞かなきゃあかんの?見てわからへんの?マイケルが整形を認めないのはフアンや世間を欺いてるっちゅう事になるのか?それは犯罪なんかっ!?疑問だよね。
 そんな事いったらさ、カツラ付けてる人はちゃんと真実を語ってから装着せなあかんのか?それじゃカツラの意味がないじゃろうが!という事なのつまりね、無名な人間がやってたらどうでもいい事なのよ。それがマイケルジャクソン故に聞きたくなっとるんよね、あのオッサンは。何故か?それは他の人が聞いた事ないような事を大スクープして自分が満足したいだけでしょ。世界に告発しなきゃいけない問題でも何でもないんだから。フアンの為にマイケル君はマイケル君の美意識やメッセージで言葉を言うし、彼はあくまでメディアに乗ったマイケルジャクソンっていう虚像なんでしょう。御伽噺の主人公なわけさ。桃太郎や金太郎に実像は求めないでしょう?マイケルジャクソンも同じだよね。芸能界やらパパラッチやら同じ類の話が多い。まぁ、究極の暇人というか寄生虫というか、僕はああ云う人間が大ッ嫌いです。虫ずが走る、テクテク人の心ん中を。人の恋愛を茂みに隠れて写真とろうとしている人間とか、マイクを持っただけでデリカシーのない事を平気で聞けている人間は、それこそちゃんと自分の真実を糾弾されてからやれって思うね。叩いて埃の出ない人なんていないんだから。
 その番組は冒頭から大笑いだったんだよなぁ。神妙に顔と声を作った日本のアナウンサーが「衝撃的な…!?」とか「驚くべき真実が…!?」とか劇的に一生懸命飾ってるけど、正直「そんな大変な事かぁ?」ってしらけちゃうんだよなぁ。何や、最初から狂ってる人に見せたいんやんけ、ってね。

訂正 2003/02/28
 前回の慕夜記で「生誕1000日を迎えました」と書きましたが「10000日」の間違いでした。危うく3歳そこそこの坊ちゃんになるところでした。謹んで訂正させて頂きます。おかげさまで不肖ヤマグチはこの時間、10000回目の夜露に濡れさせて頂いています。

久し振りに、ぼやいてみるか。 2003/02/27
 今日、新宿からの帰り道。ホステスらしき女と、ホストらしき男のカップルを見た。どうやら彼等の巣は近くにあるらしい。僕は最近、人の幸せに滅法弱く、淋しくなってしまうから兎に角そのカップルを目の前に歩きたくなかった。だから、そそくさと歩いて彼等の前に出て従える形勢をとった。すると聞きたくなくても会話は耳に上がり込んでくる。つまり、

男「ねぇ、さっきのまだ怒ってんの?」
女「えっ?何で?怒ってなんかないよっ!」
男「だってホラ、キレてんじゃん」
女「あぁ、これ?寒いからだよっ!」
男「寒いとキレるの?」
女「わたし、寒いのきらいなんだよねぇ!」

 ってな会話が否が応でも僕の耳に届けられたのです。理不尽極まりないこの女の説明と、派手に脱色した痛んだロン毛の男のか細い声。僕はこの寒さの中、独りで歩いているわけで、矢っ張り彼等に嫉妬してしまった。見てくれ云々は置いといて、彼女の傲慢さは僕の心を充分に満たしている。一緒についてくる彼氏を振り払うかのような歩きで、口を開けばそんな言い草だ。男という男、雄という雄のプライドなんてものはバッサリ切り捨てられる、と僕は思う。少なくとも僕がその言葉を投げつけられていたら、「はいっ!」の一言でどこまでも付き従っていくだろう。
 最近、僕の身の回りで結婚話が多いから、こんな事を思うのだろうか。どこかで自分を賞味以上に着飾って見せているのが男で、格好つけてない男なんて皆無だろう。僕も謙虚に生きようと思ってはみるものの、矢っ張り肩幅広く見せているところがある。だから、そんな虚勢を隣にいる女性には見抜いていて欲しい願望が出てくるわけだ。そして、前述の彼女のように理不尽でも自信を持って男の虚栄を打ち崩して欲しいと願う。これは僕だけの事だろうか?世間はそう言ってないだろうか?僕は願い続ける。

 追伸:本日27日をもちましてワタクシは328ヶ月と15日生きました。有り難い事で生誕1000日を迎える事ができました。ワタクシを支えて下さる皆様には改めて感謝の念を表したいと存じます。おかげさまで不肖ヤマグチはこの時間、1000回目の朝陽を浴びさせて頂いています。

疲れるな、疲れる前にやめろ! 2003/01/16
 辛いと思わせるものが、常に未来の為の苦悩になるとは限りませんね。足かせのように色んな出来事や心の素材を引きずってみても、その素材が馬や自転車には変わってくれない場合、やっぱり進歩に苦しむと思います。案外、小指の先でチョイっとデコピンすれば、三千光年彼方へ飛んで行ってしまうものが大半なんです。でも、それが恐くてできない。人って慣れるという事ができますから、辛さにも慣れてしまうところがあるような気がします。それは、現状維持の安心感といったものでしょうか。
 これが人間関係の中で辛いと思っているものなら、多少不器用で損にも見えますが、とっても優しい心だと思われます。ですが、自分の取るべき道に悩み苦しむのなら、重さで潰れてしまう前に是非一旦やめる勇気を持ってみて下さい。
 神様に無限に広がる野原を与えられた時、人は杭を打って自分の土地を限定しようとします。「これはできるけど、あれは恥をかくだけだからやめておこう」とか。自分を持とうとする時、思想を限定方式で保とうとする癖があると思います。考え過ぎる時って大概がこんな感じで、捨てれないもので窮屈になって新しいものが拾えない。いやいや、与えられた自分という世界は無限に可能性を帯びて広がっているのだから、自分の経験を基に境界線をはる作業をするのではなくて、自由に歩き回る作業に力を使うことの方が良い時もあります。
 生きていれば自分の持っている鍋なんて、直ぐに一杯になって煮詰まります。一旦全てを食べ尽くす作業をしなくちゃいけない時があります。だから、疲れてしまう前にやめた方が良い苦悩もありますよって事。
 荷物はなるべく軽く、遠くまで。新鮮な空気を吸う為に。
 「疲れるな、疲れる前にやめろ!」
 特にオレ。

僕の大きな独り言 2003/01/15
 僕はチョクチョク他のミュージシャンのホームページを見るんですが、みんなDiaryって形で自分の言葉を載せている。これは読んでいて楽しいのな。で、そっから、自分の慕夜記を読み返すと、クッラ〜イのな。色々感想は頂きますが、正直なところ、こんなクッラ〜イ私的文章でいいのだらうかと不安に思う事が多いです。この慕夜記という大きな独り言にどれだけの読者がいるかは解りませんが、有り難うございます。充分根暗な人間と判って頂けたかと思います。
 お湯が沸きました。お茶をすすりに行ってきます。では。

Bottom of my soul 2003/01/10
 静かに流れる夜の水。海、河、湖、いやいや、アスファルトの窪みにできた水溜りでいい。清浄や淀みが真っ暗な水に溶かされ、ふつふつと気発していく様が僕の精神だ。立ち上がる陽炎のような湯気、これが僕の仕業だ。
 僕の生暖かい精神の底には一縷の感情も無く、淡々と諸行を溶かしている。
 僕の生暖かい精神の底は、罪の深さに応じて深くなる。
 僕の生暖かい精神の底までは、さすがに救いの慈悲など届かない。

 いつも凛々しく佇み、男という種類に目を醒まし、幾度となく強烈な臭気と共に焔を上げる。僕の生暖かい精神の底は、生まれても死んでも変わらない。幾度の輪廻にも変わる事なく、幾度の輪廻の底に在る。
 僕はその深さに挑み、溺れては傷付き、垣間見ては喜び、また悲しむ。今の視界がどんなに移り行くとも、底を知れば驚きはしない。無表情、無感情こそが本来生身と呼ばれる自分に近い事なんだろう。

明けました、おめでとう。 2003/01/07
 明けて七日。皆、おめでとう。僕も、色んなところで「おめでとう」と言ったり、メールを送ったり、お祝いのパレード。今年が来年になって、また今年になる。今日が明日になって、また今日になる。今年の蓮華は来年はいない。土中のミミズはうまく大晦日と正月をまたいだけど、二日に死んだ。実家の犬は正月なんて知らないけど、毎日をイキイキ新鮮に迎えている。イマイチ「おめでとう」に実感はわかずに新年を迎えている、やまプチです。でも、実感のわかない境目に、実感のわかない「おめでたさ」を乗せて、みんなが喜びや感慨を持って次のサイクルに決意を新たにする。良い習慣ね。こうやって言うと、冷めたつまらない意見に聞こえるけど、そうゆう僕も多分にもれず新年をめでています。今年も頑張って、みんなで幸せに太陽の周りを一周しようぜ。御同道、宜しく!
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